クラスが始まって一年が経ちました。
試験も終わり、ピエールは私に「ニューヨークに住む日系人の人達にダンスを教えてみては」と提案してくれました。
私はそれまでタップダンスしか教える経験がなかったので、とても不安でしたが、ピエールのパートナーであるイバン(Yvonne先生)が手伝ってくれることになり、JSDCニューヨークの発足となりました。
同じ時期に、アメリカンボールルームシアター(ABrT)のオフィスに呼ばれ、ABrTの団員として踊ってみないかという誘いが、ピエールとイバンからありました。
願ってもないこと、社交ダンスのマスター達と一緒にパフォーマンスが出来る!嬉しさと不安が入り混じっていました。
でも私の中では、勉強が出来る!という思いが一番でした。
そのABrTで誘いがあった直後に、私の頭に浮かんだ(想像した)のは、新聞Back Stageに掲載された私の写真でした。
これは、ニューヨーク中のショービジネスの雇用や公演情報、そして批評(厳しくて有名です)が、ギッシリの毎週発行の新聞です。このBack StageのDanceのページの批評の欄に、私の踊っている写真が掲載されているのが、何故か頭にはっきりと浮かんだのでした。そしてそれが後になって実現したのです。
オーディションから何日か経って、合格の連絡が来ました。
私は色々考えて、まず一年は失業保険で生活しながら、社交ダンスを学ぼうと決心しました。
アメリカンボールルームインスティチュートという名の特別クラスで、毎日朝10時から午後2時まで、バレエクラスでウォームアップして、アメリカンスタイルボールルームを、ピエール・デュレインと彼のパートナーのイバン・マーソー氏から学びました。
そして夕方5時過ぎから夜10時過ぎまで、毎日社交ダンス教室に通いました。
ニューヨークは日本と違って、グループレッスン(アメリカンスタイル中心です)を行う教室が多くあります。
種目もたくさんあり、インストラクターも一流で、JSDCで現在やっているような「フリーパス」を使って学びました。
さて、オーディション通過者のための特別クラスが始まってみると、周りのメンバーのレベルがあまりに高く、簡単にステップをこなしているように見えました。
話しを聞いてみると、10人ほどのメンバーの3分の2位が、既に社交ダンスのインストラクターだったのです。
ソロダンスを長年やっていた私は、足形はすぐに出来ましたが、女性と組むと全くリードが出来ないのです。
インストラクターではない残りのメンバーも、ミュージカル界などでかなり活躍してきたようで、組んで踊るダンスも慣れていました。
このような状況の中で、他のメンバーより遅れを取っていると感じていた私は、プレッシャーを感じながら必死に学んでいました。
ただ、時々行われた「アダジオ」(リフト)のクラスだけは、バレエ学校でパドドウ(バレエの中で男女が組んでリフトを取り入れて踊ること)を学んでいて好きだったこともあり、楽しんで誰よりも上手くこなしていた気がします。
月日が経って、いろいろな理由で半数以上のメンバーが辞めて行きましたが、新たにオーディションがあり新メンバーが入って来たりして1年が過ぎました。
続きは次回です。
何度かに分けて、私とペアダンスの師であるピエール・デュレイン氏との出会いについ
て話します。今回は1回目です。
私はニューヨークで23年間ダンスの活動を行いましたが、その間、バレエ、ジャズ、
タップなどの一人で踊るダンスを中心にやっていた時代があります。ただその頃から、
ペアダンスには常に興味がありました。と言うのも、ダンスを私が始めたきっかけにな
ったフレッド・アステア(俳優・ダンサー)という人物は、時に一人で踊りますが、多くの場合、女性とスクリーンの中で踊っていたからです。ですので、例えばバレエの公演を観にった時でも
、私の目が輝くのは男女が組んで踊るパドドウのシーンでした。そのような理由で、常
に舞台でペアダンスを踊る「アメリカンボールルームシアター」(以下、ABrT)の名前だけは、知っていました。私が後に所属することになる舞踊団です。
ある時、このABrTの主催で、一年間ボールルームを無料で教えてくれるクラスを作ると
いうことで、ダンサーのオーディションをするチラシを見ました。私は本格的にペアダ
ンスをやってみたこともなかっただけに、ただ興味本位で、万が一受かっても断ればい
いくらいのつもりで、オーディションに行きました。オーディションでは、スウィング
、ワルツ、バレエなどを踊りました。スウィングは少し知っていたのですが、ワルツは
全く経験がなかったので、踊れませんでした。
ただ、オーディションが終わってみて、帰る途中にふと「このままミュージカルやダン
スの公演をしていて(当時の私の主な活動です)、将来はどうなるのだろう。ひょっと
すると、このペアダンスとの出会いが私にとって、この先大きなものとなるのではない
か」と思いました。
今回はここまで、次号に続きます。
今回はダンスの種目についてです。
JSDCでは、アメリカンスタイルの社交ダンスを中心にレッスンを行っていますが、
種目としては、フォックストロット、タンゴ、ワルツ、クイックステップ、ウィンナー
ワルツ、ルンバ、サルサ、メレンゲ、チャチャチャ、スウィング、ハッスル、ボレロ、
サンバ、アルゼンチンタンゴの14種目です。こうして並べてみると、こんなにたくさ
んやっているのかと思われるかもしれませんが、月日をかけてレッスンを取っていくと
、皆さんいつの間にかほとんどの種目を踊れるようになっています。
こんなにたくさんのダンスが踊れるというのは、本当に素晴らしいことです。ダンスを
やっていない人から見ると、びっくりされることでしょう。来月にワークショップで行
うバチャータも、基本ステップは多くの生徒さんが踊れますし、今後、いつかウエスト
コーストスウィングもやってみようと思っています。最近は、スウィングのレッスンの
中にチャールストン(ステップの名前)も入ってきました。
JSDCでは、入門・初級でも8種類のダンスが踊れるようになりますが、アメリカン
スタイルの特徴として、初めてのレッスンから音楽をかけて踊れるようになるというこ
とです。ステップを数をたくさん知らなくても、音楽に合わせて踊れる喜びは何とも言
えない楽しさがあるものです。
これからも、皆さん、どんどん踊ってくださいね!
今回は、ダンスを始めるきっかけについてです。たくさんのJSDCの生徒さんにイン
タビューしました。
・友達にすすめられて(多数)
・私でも始められる所がないかと教室を探していたところ、JSDCの記事が出ている
新聞を見て、ここなら気楽に出来るだろうと思った。
・ウィーンに行って、みんながウィンナワルツを踊っている姿を見た。是非これをやり
たいと思って始めた。
・社交ダンスの羽の付いたドレスを着て踊ってみたいと夢見ていたので。
・クルーズで踊れるようになってみたいと思った。
・社会人になって、一つのたしなみとしてダンスを踊れるようになりたかった。
・頭を使いながら、身体も使うダンスをしてみたかった。
・健康のため、友達作りのために、家にいるよりいいからと長女にすすめられた。その
結果、いつの間にか、糖尿病が治ってしまった。ダンスのお陰。
・ラテン音楽が好きで、音楽に合わせて踊ってみたいとサルサから始めた。
・ニューヨークの街角で踊っている様子をTVで見て始めた。
・小さいころからバレリーナになりたいと思っていたが、バレエが出来なかった。一人
で踊るダンスを6年経験したが、今度は男性と組んだ踊りをしたいと思った。
皆さん、ダンスを始めるきっかけは本当にそれぞれのようです。ダンスに出会った人生
はいかがでしょうか。ダンスで人生が変わったご報告、お聞かせ下さいね!
今回はパーティでの男女の役割についてです。
「パーティでは女性から誘ってもよろしいのですか?」という質問を時々女性の方から聞きます。男女平等の世の中です。もちろん「どうぞ。」と言いたいです。
しかしペアダンスの場合、男女の役割は大きく違います。男性は①ステップを踏む。②リードをする。③次のステップを考える。④周りを見て人のいない所へ女性を導く。
男性はリードしてこそリーダーであり、女性はフォローしてこそフォロワーです。女性はリーダーの動きを感じてフォローします。
ただ、音楽に関しては、女性は音楽をよく聞いて、男性が音楽に合わせられない場合、何らかの方法で男性が音楽に合わせられるように導いて下さい。男性はステップやリードで頭がいっぱいで音楽が耳に入らない場合がよくあります。
エスコートはやはり男性がするものです。特にJSDCの男性の生徒さん達は、できるだけ色々な女性と踊って下さるジェントルマンが多く、私も大変有り難く思っております。
皆、パーティで楽しみたい気持ちは同じです。
できるだけ多くの人がパーティで楽しめるようにJSDCスタッフはアイデアを出していきたいと思っております。
皆さんも良いリーダー、良いフォロワーになってパーティを楽しんで下さい。
ヨーロッパへの思いと印象についてです。
好奇心旺盛な私は、アメリカに渡る前は、北海道から沖縄までバイクで一人旅をよくし
ていました。10代終わりごろです。それでアメリカに渡ってからも、世界中を周ってみ
たいと思う願望がありました。有り難いことにダンスのお陰で色々な所に行くことが出
来ました。また、アメリカだけでなくヨーロッパでも住んでみたい望みもありました。
あるとき、ミュージカル「アニーよ銃を取れ」ヨーロッパツアーのオーディションに合
格し、半年間、西ヨーロッパの国々を周って思ったのが、芸術に対する関心度が非常に
高いと言うことでした。また、芸術家を育てることにすごく力を注いでいるのが分かり
ました。私はヨーロッパでどんな番組が放送されているのか興味があり、よくTVをホ
テルで見ていました。すると、なんとアメリカの番組が多いこと。なるほど、やはりエンターティメントはアメリカが一番だと思い、エンターテイメント業界にいた私は、ヨ
ーロッパに住むという気持ちは一旦保留にして、そのままニューヨークに20年以上も住むことになりました。
また、ヨーロッパツアーの話も改めて出来ればと思います。
今回はダンスをやって変わったことについてです。生徒さんにインタビューしてみた結
果です。
・以前は、外へ出かけると、次の日は家で休んでいましたが、今では毎日外で出かけら
れるようになりました。そして周りの人に若くなったね、と言われるようになりました
(80代女性)。
・もう一生このままかと思っていた肩こりが治りました(40代女性)。
・ウエストが5センチ減り、以前のズボンがはけるようになりました(50代男性)。
・寝つきがよくなりました(70代男性)。
・性格が明るくなり、人に会うのが楽しみになりました(70代女性)。
・歩く時、よく足の裏が地面にあたって転びそうな時がよくありましたが、今では足が
上がるようになり、楽に歩けるようになりました。ウエストも6センチ減りました(5
0代女性)。
・会社で「何でそんなに楽しいの」と言われるほど、仕事にも打ち込めるようになりま
した(30代女性)。
・生活にメリハリが出てきました(80代男性)。
嬉しい変化、私も嬉しいです。
さて、皆さんにはどんな変化が現れましたか?
今回は「ダンスが出来ることの喜び」についてです。
音楽は人間にとって非常に大切なものです。人の心を癒し、楽しませ、希望・夢を与え
、生きる力を湧かせます。人は音楽を聴く時に、それに合わせて、声に出す(歌う)こ
とと、身体を動かす(ダンスをする)ことは自然なことです。ですので、ダンスは「特
別なもの」ではありません。TVや映画のワンシーンのように、軽やかに踊ってみたい
と思った人は多くいると思います。
でもダンスをやってみたいけど、色々な事情でそれが出来ない人もたくさんいます。身
体の問題、生活(仕事など)に追われて時間が取れない、など理由は様々です。だから
反対にダンスが出来る人、現在やっている人は、本当に幸運なのです。
JSDCでは、一般の人以外に身体不自由な施設や視覚障害者のサークルなどのボラン
ティアやシニアクラスなどの特別クラスも行っています。皆さん、ダンスを始めてから
体の調子が良くなったという声をたくさん聞きます。
私自身、ダンスが出来ることは本当に有り難いことだと思っています。皆さんもダンス
が出来ることに感謝してください。そして他の人たちと仲良く楽しくやって下さい。色
々なことがあっても出来るだけ長くダンスを続けてみてください。
引き続き外反母趾についてです。
専門家の意見では、人間は通常、右足に重心をかけていて、左足はそれを支えるようにして生活しています。右足は下からの衝撃をコントロールし、左足はねじれを吸収する働きをしているので、人は動く方向は左回り(反時計まわり)に動くように出来ています。陸上・アイススケート・野球・コンビニ・スーパーマーケット等、色々なところで左回りが使われています。
だから外反母趾は左足に出来やすいのです。
外反母趾の治し方ですが、とにかく足裏を出来るだけ正常の状態に戻す事です。足裏をマッサージなどして刺激し、テーピングをします。これだけで殆ど良くなると言われています。
まず外反母趾を専門にしている治療院へ行き診てもらい、マッサージやテーピングの仕方を習います。何回か通えば、後は自分で出来るようになります。本やネットにも書いてあります。
手術はしても治らないケースがよくあるそうです。とにかく健康でダンスを続けたいですね!
前回に続いて外反母趾についてです。
昔の日本人は裸足で歩いたり、下駄や草履をはいて歩いていました。下駄や草履は鼻緒
によって足と履物をしっかり固定出来るため、足の指先できちんと踏ん張れます。その
構造のお陰で、足裏でしっかりと地面を踏みしめることが出来ました。足裏も地面から
の刺激を受けた際、土踏まずや何か所かの足裏のアーチの部分で下からの衝撃を和らげ
る役目を果たしていました。歩くたびに足を地面に打ち付けることで、下からの衝撃が
上部に伝わりますが、その力は体重の4倍と言われます。
今では色々なデザインの靴が普及してきました。それに伴って、指先を踏ん張るという
作用がなくなっていると言われており、足裏の機能が退化していきました。特に、ヒー
ル、パンプス、サンダル、スリッパを履くと、脱げないように靴の中で無意識のうちに
指先を上げる歩き方になり、体を安定させようと余分な力が入り、体の所々にストレス
がたまり、身体のどこかに異常をきたしやすいそうです。
足裏の機能が衰えるということは、土踏まずや足裏にあるアーチを形成する靭帯が緩み
ます。その結果、足裏の筋肉の働きも衰えて外反母趾の原因になりました。つまり外反
母趾は現代病と言えます。
また次回に続きますので、来月もどうぞお付き合い下さい。
今回から何回かに分けて、足と健康の関係について、特に外反母趾についてお話させて
頂きます。具体的には、外反母趾から起きる体の痛み、原因、治し方についてです。
私は常にダンスを通じて人に幸せをもたらせたいと思っています。それにはまず少しで
も健康な体を保つことが大切です。健康でなければ、ダンスはもちろん、働くことや、
やりたいことが何も出来ません。
ペアダンスは、適度に行えば、体も心もすっきり、これ以上の趣味はないと言えるほど
素晴らしいものだと思います。ただひとつだけ、「外反母趾になりやすい」という気に
なる点があります。私も両足ともひどい外反母趾ですが、生徒さんからも「外反母趾で
足が痛い」というお声をしばしば聞きます。一般の女性で3人にひとり、社交ダンスを
する7割以上の女性は、外反母趾になると聞いたことがあります。
外反母趾とは、足の親指が内側に曲がる症状のことで、一般に15度以上曲がっている
と外反母趾と診断されるそうです。外反母趾は深く静かに進行して、放っておくと、ひ
ざ、腰、首に影響が出てきて、頭痛、肩こりなどから、ひどくなると、うつ病、自立神
経失調所など心の病にもつながると言われています。
これを機会に皆さんの足もチェックしてみましょう。
では、続きは次回に・・・
今回は「年齢の話題」についてです。日本では、TV.新聞などで名前が掲載される際、
殆どの場合、名前の後に年齢も書かれます。TVのインタビューなどでも、「おいくつで
すか」という質問が少なくありません。「失礼ですが・・・」と、時々付け加えてはい
るものの、多くの場合、あまり抵抗なく質問しているように感じます。
一般に西洋では、人に、特に女性に年齢を聞くのはマナー違反だとされています。アメ
リカでは、履歴書にも年齢は書きません。国によっては1歳でも年齢が違うと言葉使い
を変えたりする習慣があり、ある程度親しくなれば年齢をお互いに聞き合う必要性があ
るかもしれません。しかし、初対面や聞く必要のない場合は、どの国・文化でも同様で
はないでしょうか。
ダンスのレッスンやパーティをはじめ、色々な場所で、その人のことを思いやったり気
遣いをする上で、相手の年齢は一つの目安になるかもしれません。でも、正確な年齢を
聞く必要は殆どの場合はないと思いますので、特に女性には興味本位で聞くことがない
ようにして頂ければと思います。自分で年齢を言う場合以外は、聞かれてあまりいい気
分がしない人の方が多いのではないでしょうか。
男性、女性を問わず、少しでも若く、そして美しく見られたいものです。ダンスを続け
て、どんどん若返りましょう!