ピエール・デュレインとの出会い②

オーディションから何日か経って、合格の連絡が来ました。

私は色々考えて、まず一年は失業保険で生活しながら、社交ダンスを学ぼうと決心しました。

アメリカンボールルームインスティチュートという名の特別クラスで、毎日朝10時から午後2時まで、バレエクラスでウォームアップして、アメリカンスタイルボールルームを、ピエール・デュレインと彼のパートナーのイバン・マーソー氏から学びました。

そして夕方5時過ぎから夜10時過ぎまで、毎日社交ダンス教室に通いました。

ニューヨークは日本と違って、グループレッスン(アメリカンスタイル中心です)を行う教室が多くあります。

種目もたくさんあり、インストラクターも一流で、JSDCで現在やっているような「フリーパス」を使って学びました。

 

さて、オーディション通過者のための特別クラスが始まってみると、周りのメンバーのレベルがあまりに高く、簡単にステップをこなしているように見えました。

話しを聞いてみると、10人ほどのメンバーの3分の2位が、既に社交ダンスのインストラクターだったのです。

ソロダンスを長年やっていた私は、足形はすぐに出来ましたが、女性と組むと全くリードが出来ないのです。

インストラクターではない残りのメンバーも、ミュージカル界などでかなり活躍してきたようで、組んで踊るダンスも慣れていました。

このような状況の中で、他のメンバーより遅れを取っていると感じていた私は、プレッシャーを感じながら必死に学んでいました。

ただ、時々行われた「アダジオ」(リフト)のクラスだけは、バレエ学校でパドドウ(バレエの中で男女が組んでリフトを取り入れて踊ること)を学んでいて好きだったこともあり、楽しんで誰よりも上手くこなしていた気がします。

月日が経って、いろいろな理由で半数以上のメンバーが辞めて行きましたが、新たにオーディションがあり新メンバーが入って来たりして1年が過ぎました。

 

続きは次回です。

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コメント: 1
  • #1

    (月曜日, 23 1月 2012 09:58)

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